こんにちは、アツです!
今日は何年も前に書かれた、「思考の整理学」というのを読んだので、それに基づいて、今の時代にあった思考の整理学について考えてみたいと思います。
思考の整理学とはなにか
読んで字のごとく、「思考を整理する学問」ということなのですが、まさしく思考を整理する方法を語るエッセイ本というのがこの本の位置づけですね。
中でも一番面白いなと思ったのが、「不幸な逆説」の中で語られていた下記の一文です。
師匠の教えようとしないものを奪い取ろうと心掛けた門人は、いつのまにか、自分で新しい知識、情報を習得する力をもつようになっている。
要するに、受け身でなくて、積極的にすべてを学び取ろうとした結果、自分で学ぶスキルが身についたと。これすごく大事だと思うんですね。
思考の旅に出よ
思考の整理学と銘打ってはいるが、整理学ばかりでなく、その前の「思考」法についても、ふんだんに述べられています。
つまり、思考をどうやって出させるかについていろいろな方法を語っているのですね。
「寝させる」の章で、こういう一文があります。
思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須である。
まさに、思考は寝させよということなのですが、まあ、人は忘れる生き物なので、さてひらめいた思考をどうすればいいのかというのですが、ここでメモが登場するわけです。
まあ、「忘れろ」とも言っているんですけどねw
他にも、1つのことに集中せず、2つ、3つほどを同時に考えるようにすると、そのうちその中のどれかが触媒になって、それらがやがてカクテルのように結びついて思いがけない新たなアイデアまたは思考(セレンティビティ)が生まれるということも言ってます。
思考の整理=情報のメタ化
さて、そこから整理する方法に入るのですが、、、
「情報のメタ化」の章での下記の一節。
思考の整理というのは、低次の思考を、推象のハシゴを登って、メタ化して行くことにほかならない。
で、そのメタ化を具体的にやる方法としていろいろな方法が紹介されています。詳しいことは本書を見ていただくとして、、、
ともかく、思いついたり、いいと思ったところに出会ったらとにかくメモる。スクラップする。これですね。そして「忘れる」。
そしてそこから、さらに他のところにまとめていく。これが「メタ・ノート」になるわけです。
でそこから整理するには、「とにかく書いてみる」「しゃべる」。つまりアウトプットすることで考えを整理することになっているわけです。
筆者は、中国の欧陽修の三多を引用して、
三多とは、看多(多くの本を読むこと)、做多(さた、多く文を作ること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)で、文章上達の三カ条である。
これを思考の整理の方法として見ると、別種の意味が生ずる。つまり、まず、本を読んで、情報を集める。それだけでは力にならないから、書いてみる。たくさん書いてみる。そして、こんどは、それに吟味、批判を加える。こうすることによって、知識、思考は純化されるというのである。
というふうに説明しています。
そして、情報を一般化し、なるべく普遍性の高い形にまとめておく、自分のことわざのようなものを作っておくと、それらのことわざたちが、相互に関連性を持つようになり、自然と、その人の思考体系となる、と言っています。
うぉー、身震いしますね。
私の思考の整理法はというと
たしかに、ですね、情報の一般化というのは、このブログを通していろいろアウトプットしているんです。
つまり、アウトプットする前に、いろいろ情報を集めて、このブログにわかりやすくまとめる、、、ということをしてきているんです。
また、こちらのカテゴリを見てもわかるように、いろいろなジャンルの文章を書くようにしています。
まだセレンティビティのようなものは浮かんでこないんですが(苦笑)、少しずつ、自分の言いたいことだったりや、考えたいことだったりが整理されてきている気がします。
もっともっとこのブログを通していろいろなことを考えていくと、もっとステキなことが起こるかも!?と期待して、頑張ろうと思いますw
そういえば、メモを取る方法についても書いてあったんですが現代で言うと、Evernoteってのがありますね。
Evernote
これも現代にみあった、一つのメモの形とも言えるでしょう。スクラップでさえ、写真を撮ってここに保存すれば良くなりました。
また、日時とかも自動的に保存されますし、いい事づくしの便利なツールですね。
なんていい時代になったのでしょうw
ただし、私の場合、また「寝かせる」ところまではいってないので、集めた情報を見直して、まとめるなり、寝かせるなりして、「情報のメタ化」をしていこうと思います。
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